環境の範域は理屈のうえでは

限定できるものではなく、無限に広がるものとみなされる。

眺望のように遠くの物体が直接重要な内容となる場合もあるし、騒音や臭気のように発生源が離れていても問題となるものもある。

人間社会においては、情報を媒介にして、他国のできごとが直接的な意味をもつことも少なくない。

「風が吹けば桶(おけ)屋がもうかる」式の影響の波及や関係の伝播(でんぱ)性を考えれば、環境の範域を限定することはますます不可能となる。

他方、主体が影響を受けるのは、いずれにしても環境の作用がなんらかの意味で主体に直接及んだときである。つねに無限の広がりをもつ環境を取り扱うというのは現実的ではない。

そこで、主体が直接交渉をもつとみなされる適当に近い範域、すなわち近接環境を環境としてまず第一に取り上げるのが普通である。

環境のなかに主体に対して直接的な重要性をもつ部分や要因を認めて、これを有効環境とよぶこともある。

逃避は外部の環境からなんらかの

危険にさらされたとき、その危険を避けるのにもっとも原始的で容易な、自己防衛の手段が逃避である。

たとえば、人間関係につまずき自我が損傷を受けると、人里を離れようとしたり、アルコールに頼ろうとしたりするのが逃避である。

危険が差し迫ってきたとき、これを避けることは回避とよばれる。

逃避や回避によって一時的に危険を避けることはできるが、それで危険がなくなってしまうものではないから、逃避は防衛手段としては完全なものではない。

この意味から、可能な限り遠くに逃げるのでなく、危険を察知し、その場に応じて危険を避けられる程度のところまで逃げるのが得策となる。

外部の環境からくる危険に対してはさまざまな逃避の手段があるが、内面的な心理的葛藤(かっとう)や不安からの危険に対しては適切な逃げ場所がないため、しばしば逃避場所として病気が選ばれ「病気への逃避」がおこる。

登校まぎわになって発熱したり、腹痛をおこしたりする子供は病気に逃避している。

病気になることで不安・葛藤を避けようとしているのである。

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